「明日も総悟を頼むぞ」



そう言われて俺はようやく顔を上げ、弱く返事をした。
夜の闇とやけに明るい月の所為で副長の表情をはっきりと
見ることは出来なくて少しだけほっとした。











「…トシ」



総悟の部屋から今にも泣きそうな顔をして出てきた近藤さんは、 俺を見つけてやっぱり泣きそうに微笑んだ。 は眠ったか、と優しい声で問いかけてくるのに俺は頷いて、俺の部屋で眠っていると答えた。 山崎に麻酔を頼んで無理矢理眠らせたとは言わなかった。 この人はまだ、の涙を一度も見ていない。 総悟を奪わないでと泣き叫んだときも、近藤さんはその場に居合わせなかったし、 つい先程総悟に会うともがいていたときも、近藤さんはずっと総悟の部屋にいた為にその場に居なかった。 もしかしたらが泣く場に近藤さんが居合わせないわけではなく、が近藤さんの前では泣かないのかもしれない。 近藤さんに心配させたくないからか、いや違う、近藤さんに心配されることが怖いのか。



「総悟は」
「ああ、よく眠ってるさ」



そう言って近藤さんは少し辛そうな顔をした。 俺はそれを見て見ぬ振りして夜空に煙を吐き出した。 近藤さんは俺に一杯飲むか、と言ってどこからか酒を持ってくる。 俺は近藤さんと二人、縁側に腰掛けてお互い酒を注いだ。 ぼんやりと空を見上げれば皮肉なことに星も月も不気味なほどに綺麗で、 夏の終わりが迫っていることを告げるような涼しい風がゆらりと吹く。 いい夜だった。ひどく。 だけど酒は何の味もしなかった。ただ喉を潤し胃に溜まった、ただそれだけ。 その味のない行為を何回か繰り返したあと、近藤さんがゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。



「なァトシ、病気になった総悟と何か話したことがあるか?」
「…あァ、数回な」
「そうか…」
近藤さんは一つ息を吐き、気づいてたか?と夜空を眺めながら呟く。
「総悟の言葉はもう、すべてが過去形だ」



近藤さんはぐいっと酒を呷って、震えた声を誤魔化した。 それには俺も気づいていて、ああ、と酒の入った猪口に視線を落としながら相槌を打った。 総悟が結核だとわかってからは、総悟はもう未来を感じさせることは口にしなくなっていた。 話すとしても、ずっと過去の話。あの時ああでしたよね、あの時はこうでしたね。 現在のことを話していても、俺にはこれが精一杯だったなァとか、 もうすべてを悟ったような言葉しか出てこなかった。 そのたび俺はまだ終わってねェだろうが、と渇いたように笑ってやって、遠回しに背中を押した。 そのたび総悟はそうですねェと笑って、俺はいつも思うのだ。 こいつはこんな表情で笑うやつだっただろうか、と。こんな、消えてしまいそうな表情で。


近藤さんにしてもそうだった。この人だってこんな笑い方をする人じゃなかった。 山崎だってあれでも仕事に関してはもう少し頼れるヤツで、俯いてばかりなんかじゃなかった。 は馬鹿みたいに毎日笑っていて、あんな風に恐怖に似た、何かに怯えた表情ばかりをするヤツじゃなかった。 は正義感だけは無駄に強いから無駄に怪我をして、 総悟を誰より慕っていたから総悟を護ろうといつだって必死だった。



の笑顔も見てねェなァ」



近藤さんは月の浮かぶ空を見上げて呟く。俺は何も言えなかった。 沖田隊長、と笑うが思い浮かぶ。 総悟とくだらないガキのような悪戯を思い付いては俺に仕掛けた。 総悟は気が向くと山崎にミントンの試合をやってやると恩着せがましく誘い、 負けてはつまんねェと我侭を言って山崎のラケットを折った。 そのたび山崎が半泣きで叫び、それを見たが寄ってきて山崎に自分が付き合うと言って試合をする。 結局も負けて、つまんなーいとラケットを折るのだ。山崎はラケットを二本ダメにする。 情けなく落ち込む山崎を俺は遊んでんじゃねェぞと怒鳴りつけて仕事に向かわせるのだ。


総悟の明るい声も、の笑顔も、山崎のくだらない笑い話も、
近藤さんの心からの笑顔も、馬鹿みたいに繰り返される戦いながらも幸せだった日常も、



今は、どれも此処にはない。






「俺はなァ、トシ」
近藤さんはいつの間にかずいぶんと減った酒の瓶を揺らして注ぎ、それを一気に飲み干した。
そして言う、「時々思うんだ」
に剣を握らせたのは間違いだったんじゃないかって」
俺は黙って近藤さんの話に耳を傾けた。

「その辺の女と同じようにフツーに生きて、フツーに暮らしてりゃ女としての幸せを掴めたんじゃないかって」
「…あんたが責任感じるこたァねェさ」


近藤さんは何も言わずに俯いた。
誰も悪くはない、今更なにを悔やんだってなにも変わらないのだ。
そんなことはこの人もわかっているはずだ。でもだから、余計に悔しいのだろう。



「総悟とは会わせないほうがいいだろうな」
そう呟いた近藤さんに俺は少し驚く。
は近藤さんにはあまり弱みを見せないようにしていたはずだ。
けれどこの人はすべてわかっていたらしい。あいつの涙など見なくても。

「総悟の弱っていくのを見ていれば、最悪の場合、」
「ああ…。総悟が死ぬ前に自分が先立つか、」



「……総悟も殺して自分も死ぬか」





俺と近藤さんの考えていたことはやはり同じだった。 がそれくらい総悟を慕い、依存していることはもはや隊の中の誰もが知っていた。 俺と近藤さんの頭をよぎる、その「最悪の場合」だけは回避したい。 は幼い頃から総悟の一番近くで、総悟の剣を自ら受けて 直接剣術を学んでいた為に今では女と言えど充分な戦力になっている。 総悟がいなくなることなど考えたくはないが、現実、 どんどんと弱っていく総悟を見ているといつかはいなくなってしまうと考えるべきだ。 そうなったとして、一番総悟に近い戦い方をするが総悟のいた場所を支えていかなければならなくなる。

戦力だとか総悟の後を支えるとか、そんな風に冷静な思考を巡らせている自分に吐き気がする。
そんなこと今考えなくたってどうにでもなるだろうに。



「トシ、総悟がいなくなったら、」


近藤さんは膝の上に肘を付いて頭を抱えた。 声がなくても聞こえる悲痛な叫び。 俺はその先を阻むように近藤さんの肩をポンと叩き、大丈夫だと言った。 それは自分に言い聞かせたようなもので、何が大丈夫なのかなんてわからなかった。 とりあえず励まさなければ、大丈夫だと奮い立たせなければならなかった。 近藤さんの肩は震えていて、ぼたっと重い雫が地面に弾けた。

単純に悔しかった。 どれだけ鍛錬を重ねて強くなったって、どれだけ強く絆を紡いできたって、どれも脆く形のないものに過ぎなくて、 結局総悟が日を重ねるごとに弱っていくのを見ていることしかできないのだから。 不気味なほどに綺麗な夜の中で、俺はどれだけ切に願ったって帰っては来ない日々を無駄だとわかっていながら必死で望んだ。









(別に永遠になんて言わない、ただもう少しだけあの日々を繰り返させてくれたら)