副長に背負われて屯所に戻り部屋に入った沖田隊長に、 俺は無理にでも安静にしてもらうために麻酔を打った。 隊長はやはり限界だったのか、辛そうに呼吸をしながら大人しくそれを受け入れ、静かに眠った。 が隊長の部屋に入ることは許されず、 屯所に着いたとき副長に副長の部屋で待っているように命じられ、はそれに黙って頷いた。 屯所まで歩いて戻る道中、はずっと隊長の隊服の裾を握って離さなかった。親に縋る子供のように、ぎゅっと。 存在を確かめていたかったのだと思う。「沖田隊長を奪わないで」の強く悲痛な願いが先程から脳に響く。 隊長から離されても、はもう泣いてはいなかった。 副長に背負われて部屋に消えていく隊長を、ただじっと見ていた。




沖田隊長が眠ったのを確認した後、俺は副長と一緒にの待っている副長の部屋へと向かった。 は電気もついていない暗い部屋でぼんやりと立っていた。 副長が電気をつけるとがぱっとこちらを見た。泣いてはいなくて、俺はほっとする。 けれどは俺の安堵を打ち破るかのように、副長を見てすぐに口を開いた。



「治らないんですか」



誰が、何が。
主語なんかなくても分かった。副長はポケットから煙草を取り出し、火をつけた。
俺はから目をそらすように床だけを見つめていた。
息が止まりそうになる。
ふーっと煙を吐き出した副長は、やっとの目を見た。



「…ああ」


静かな肯定。酷く重い肯定。 の纏った返り血を吸い込んだままの隊服の袖から、ぽたりと赤い雫が落ちた。 は少しも感情を見せなかった。 どうしてこんな状態になるまで自分には告げてくれなかったのかと怒りもしなければ、泣きもしなかった。 ただぼんやり、抑揚のない声で呟いた。



「結核、」



ぽつりと独り言のように呟かれたそれは、まさに沖田隊長を苦しめている病の名前。
はずいぶん前からわかっていたように思えた。
それを今、確認するように呟いた。副長から零れたのは、やはり静かな肯定。
は感情のない声でそうですか、と呟き、隊服から赤を滴らせながら部屋を出て行った。
彼女の背中が向かったのは沖田隊長の部屋だった。
それに気づいた副長がを呼ぶ。



「どこへ行く」
「隊長に会いに」
「待て。今眠ったところだ」
「離してください、」
「おい…っ」
「いや、離して山崎、土方さんっ、」
「落ち着け
「傍にいさせてっ、隊長、沖田隊長のっ…!」
「山崎、近藤さんを呼んで来い」
「隊長…っ!!」



俺が副長に言われた通り局長を呼びに行こうとの手を離したとき、
副長の腕も振り払おうと暴れたの腰からガシャンと刀が落ちた。
は乱暴に副長の腕を振り払い、屈んで刀を大事そうに胸に抱いた。
「剣…」
ぎゅっと刀を抱え込んで座り込むの背中が、酷く小さく見えた。


「あたしが剣を、握って…、強くなりたかったのは、隊長が、」

言葉は続けられなかった。 静かに壊れていく気がした。 が隊長をどれだけ大切に思っているかが痛いほどに伝わってきて、 その沖田隊長と言う存在を失ってしまったらどんな風になるかが目に見えてわかるようで怖くなった。 隊長と言う存在をなくした此処の先には、闇しか見えなかった。



「…山崎」
「……はい」
、今日はもう休め」



俺は副長が合図した通りに、座り込んで項垂れるの首に麻酔を打った。 静かにとさりと倒れこむを腕で支える。それと同時に、ひとつ透明な雫が床に落ちた。 ――泣いていたのか。 強い強いと思っていたという女が持っていた強さは、 沖田隊長がいたからこそ保っていたものだったのだと今更ながらに知った。



「…俺の部屋に寝かせておけ」
「でも血塗れですよ、
「後で女中に着替えさせるよう頼んでおけ」
「副長はどこでお休みに?」
「俺ァどうせ寝られねェ」



副長はそう言って煙を吐いた。それはふわりと浮かんで夜に映えて、闇に溶けた。 とりあえずを副長の部屋まで運んで寝かせる。 頬に雫が伝った痕が残っていたのを拭ってやって、そのまま静かに戸を閉めた。 どうか彼女が朝目覚めたとき、泣いていませんようにと祈って。 それから副長に向き直り、深く頭を下げる。



「申し訳ありませんでした」
「…何がだ」
「俺がしっかり沖田隊長についていれば、こんな事にはならなかった」
申し訳ありません。もう一度深く謝罪の言葉を述べる。
「顔上げろ」
「…上げられません」



副長がため息に近い息を吐いたのが聞こえた。 だけど顔を上げるなんてできなかった。 俺が隊長から離れなければこんな事にはならなかった。 隊長に無理をさせることには、にこんな思いをさせることには、ならなかったはずだ。 見たこともなかったの泣き顔が頭から離れない。 喉から絞り出された願いが耳に残って離れない。謝っているのは自己満足かもしれない。 俺が頭を下げたところで事態は変わらないけれど、それでも自分の所為にしたかった。 も副長も隊長も皆、俺を責めてくれたらいいと思った。


運命には逆らえないことを皆が知っているから、だから何を恨んだって仕方なくて、 だけど何かの所為にしたくて。皆がそう思っているはずだ。 皆が何かの所為にしてどうしてこんなことになったのだと責め立てたいはずだ。 だったら俺がその対象になればいいと思った。 医学を学んでいるくせして隊長を救うことも出来ない、 ましてや無理をさせるきっかけを作ってしまった自分が情けなくてたまらないから。 責めてくれたほうがいくらか楽なはずなのに誰も責めてはくれないのは、 も副長も隊長も皆、知っているからだ。どうしようもないのだ、と言うことを。



「山崎」
「……はい」
「あと、どのくらいだ」
俺は言葉に詰まった。
間を置いて、声が震えぬよう心がけながら答える。
「長くは、ありません」
「……そうか」
「いつ血を吐いてもおかしくない状態だと言うことは先日申しましたが、」



「おそらく先程、喀血しました」




先程と言うのは今夜の討ち入りの時の事だ。 診たところ咳き込み方が酷かったし、他にも異常が診られた。 俺と副長が沖田隊長を探して一番隊の持ち場に向かったとき、は隊長を隠すようにした。 そして、隊長の両手をぎゅっと握った。 のその行動が引っかかっていたけれど、今ならわかる。 たぶん隊長はあの時の前で喀血し、はそれを見てしまったのだ。 だけどは隠そうとした。 そんな事実を認めたくないと思ったのか、俺達に知られるとまた隊長を閉じ込められると思ったのか、 彼女の思いは分からない。 だけど目の前で血を吐いた沖田隊長を彼女なりに必死で守ろうとしたのは確かだ。

俺は頭を下げたまま、自分の左の手のひらを見た。
隊長の部屋に行こうとするを引き止めたときに掴んだ 彼女の隊服に染み付いていた返り血が手のひらを真っ赤に染めていた。
はどんな思いを抱えて沖田隊長の手を握ったのか。




大きく間をあけて、そうか、とだけ呟いた副長の顔を見るのが怖くて、 俺はしばらく頭を上げることが出来なかった。










(壊れゆくのを食い止める事が出来ないと知っていて、だけどそれが気に食わなくて)