賑やかで治安の悪い、物騒なこの街も平日のお昼はさすがに平和で、 学校を終えた子どもが無邪気に走り回っていたり買い物袋を提げた主婦がのんびり歩いていたりするありふれた光景を紡いでいた。 その中で、大きな買い物袋を一つずつ提げたわたしと沖田さんもまた、この平和な光景に溶け込んでいることだろう。 普段、沖田さんと買い物をするなんてことは滅多にない、というか、一度もない。こんなことになっているのには事情がある。 男の人ばかりが何人も集まっている真撰組のための買い物は荷物がとても多くなり、 一人で行くのは少し困難なのだが、お盆ということもあって休みを取っている女中が多く、屯所での人手は今足りていなかった。 困ったわたしは勤務表を眺めて沖田さんが非番であることに気が付き、 縁側で堂々と昼寝をしている沖田さんをつかまえて買い物に付き合ってもらったのだ。


私服の沖田さんとこんな風に一緒に歩くのはとても不思議な気分だった。 いつもなら真っ黒の隊服を着て腰に刀を引っ提げているけれど、今日は違う。 仮にも真撰組の一番隊の隊長である沖田総悟だ、それにこんな整った顔をしているのだから、江戸中に顔は知られている。 刀を提げないままついてきてくれた沖田さんにわたしははたと気がついて、 丸腰で大丈夫なんですかと訊けば、沖田さんは「素手でも強いんでさァ」と飄々と言ってのけたから、 わたしはそうなんですねと感心するだけだった。沖田さんはきっと、剣術以外もお強いのだろうなあと。



歳の近いわたしと沖田さんは、普段するように他愛もない話をしながら屯所への帰り道を歩く。 せっかくの非番だってのになァとわざとらしく愚痴をこぼす沖田さんに、 お昼寝よりはいくらか有意義な過ごし方でしょうと笑って返したり、いつもの土方さんの悪口を聞いたり。 沖田さんとこうして長い間ゆっくり話すことは普段出来ないことなので、 わたしは沖田さんとのお喋りしながら隣を歩いているこの時間がとても楽しかった。 店の並ぶ商店街を抜けた穏やかな道に出れば、屯所まであと数分だ。 楽しい時間が過ぎるのは早いなあと感じていたら、「あの」と、か細い声が背中からかけられたのでわたしたちは同時に振り返る。 そこにいたのは花柄の可愛らしい着物を着た、可愛らしい女の子だった。歳は16,17くらいだろうか。頬をうっすらと淡い色に染めている。

「沖田さん、あの、」

女の子は絞り出したような声でそう言ってわたしをちらりと見た。 この視線の意味を察することが出来ないほど野暮じゃないわたしは、きょとんとしている沖田さんの手にある買い物袋をさっと取った。





「屯所まであとちょっとなんで、わたし先に帰ってますね」





えっ。という間抜けな顔をした沖田さんに、 明らかに沖田さんに用事がある顔してるじゃないですか、と耳打ちしてわたしはその場を去る。 ではまたあとで。そう言ってぺこりと頭を下げて屯所への帰り道を今度は一人で歩きだす。 両手に持った買い物袋が重い。ああやっぱり、保存用のマヨネーズなんか今度にすればよかった。 副長のばか。ばかばかばか。
















「あれ、おまえ総悟と一緒じゃなかったっけ?」





買い物袋の中身を広げて冷蔵庫などに入れる作業をしていると、台所を覗いてきた副長が言った。 副長は昨夜からずっと部屋にこもって書類と戦っているのか、目の下にうっすらと隈ができていて疲れ切った顔をしている。 よれよれでくたびれた隊服を、早く洗ってピシッとさせてさしあげたいなあなんて思いながら、 袋の中から取り出したマヨネーズを副長のために作られたマヨネーズ保存庫(わたし命名)に入れて答える。





「沖田さんならもうすぐ帰ると思いますよ」
「なんだよ、喧嘩でもしたのか」
「ええ?しませんよそんなもの。ていうか、マヨネーズ摂取控えてください副長。重くて仕方がないんだから」
「バカ言え、十分控えてる」





バカ言え。その言葉をそっくりそのまま返したくなった。 副長は戸棚を開けて自分のカップを探しだしたから、コーヒーならわたしが淹れますよ、 と言ってあわてて副長に駆け寄り、ひょいといつもの位置から副長のカップを取り出す。 すると副長はわたしの手からカップを取って、お前も忙しいだろ、と自分でインスタントコーヒーを淹れ始めた。 すぐ近くに近づいた副長からは、苦い煙草のにおいがする。またずっと煙草を吸いながら、 ぐしゃぐしゃになった髪を掻きまぜて書類に向かっているんだろうなとわかって、 副長の方がわたしの何倍も忙しいでしょうに、それでも気遣ってくれる優しさにわたしはまたこの人の心の広さを知る。 さぞかしモテるんだろうなあとぼんやり思って、さっきはばかとか思ってすいませんでしたと自分の中でそっと謝る。 その隊服もすぐに柔軟剤のいいにおいにしてさしあげますからね!とわたしは心の中で意気込んだ。





「このあいだ原田さんがおいしいお茶の葉を持って来てくださったので、あとでそれを淹れてお持ちしますね」
「…ああ、頼む」





副長は疲れた顔で薄く笑って、コーヒーを淹れたカップを持って自室に戻って行った。
そしてちょうどその入れ替わりになるように沖田さんが台所に入って来る。いつもと変わらぬ、何食わぬ顔で。





「おかえりなさい」
「悪ィな。重かっただろ」
「いえ、これくらい大丈夫です。普段から鍛えてるんで」





腕の筋肉を見せる素振りをすると、沖田さんは「わー気持ちよさそうな二の腕だ」と皮肉を言って冷蔵庫から牛乳を取り出す。 それから広い台所の真ん中にあるテーブルの周りに4つほど置かれている椅子の一つに腰掛けて、牛乳をパックから直接飲んだ。 がぶがぶと牛乳を飲む姿は成長期の中学生みたいでおかしくて、かわいい。 わたしも沖田さんの向かいの椅子に腰掛けて、中身が空になった買い物袋を小さく折りたたみ始める。 そして問う。先程の女の子のこと。





「告白でもされましたか?」
「…まァな」
「何て言ったんです」





意地悪じゃない。意地悪では、ない。断じて。しかし意地悪な質問ではあると思う。 あの女の子のことを考えたらあまり訊いていい質問ではないかもしれない。 それでも気になった。沖田さんが、いつもどんな風に女の子たちの告白を断っているのか。 沖田さんはこの容姿もあって、何人もの女の子に告白されていることをわたしは知っている。 そのたび彼はどんな言葉で彼女たちを遠ざけてきたのか、いつもいつも気になっていた。 沖田さんはぐび、とのどを鳴らして牛乳を飲んで、やっぱり何食わぬ顔をしている。





「……『いつだれに殺されるともしれない人殺しを、あんたは愛せるんですかィ』」





どこともしれない場所に視線を置いた沖田さんは牛乳パックの似合わない大人びた表情をしていた。 哀しそうでも苦しそうでもない。なにかを恨んでいそうな様子も、憎んでいる感情も見られない。 真撰組の人たちは時々こういう表情をする。副長や局長、隊士の方々がするこの表情をわたしは知っている。 ここで働く中で幾度か出会ってきた表情だ。その表情に出会うたび、わたしは目を瞑って祈りたくなるような思いだった。





「……残酷ですね」





ぽつりとつぶやくと、沖田さんは口の端だけをゆるく持ち上げて笑う。



「残酷、ねェ」





沖田さんはまた牛乳パックを持ち上げて、ごくごくと飲む。 手の甲で無造作に口元を拭った彼は、おそらくたくさんの人たちから恨まれて、命を狙われている人殺しではあるけれど。





「わたしは『いつだれに殺されるともしれない人殺し』を、愛せる自信ありますよ」





曖昧な空間に視線を置いていた沖田さんは少し止まって、それからゆっくりわたしを見た。 わたしは自分がどんな表情をしていたかわからない。 さっきからちまちまと手慣れた折り方で畳んでいた買い物袋は、三角形の見慣れた形に小さくなってわたしの手の中に収まった。 沖田さんはわたしの陳腐な告白に、ふっと、今度はさっきより柔らかく笑ってみせる。 ああきれいな笑顔だなあ。沖田さんはやっぱり、きれいな顔をしている。 繊細な顔立ちに、柔らかく揺れる薄茶の髪がよく似合う。





「原田が持ってきた『おいしいお茶の葉』で、俺にも茶ァ淹れてくだせェ」
「………聞いてたんですか」





空になったらしい牛乳パックを片手で振って口角を上げ、年相応のいたずらっぽい顔をする。 見慣れたその表情にわたしはすこしほっとして立ち上がり、沖田さんのカップを取り出して「後でお持ちしますから」と笑った。 「縁側で昼寝でもしてまさァ」そう言って台所を出て行った沖田さんはあくまでいつも通りだ。 足音が遠退くのを聞きながら、原田さんが持ってきてくださった茶葉を戸棚から取り出すと、 手の中から缶が滑り落ちて結構な量を床にばらまいてしまった。ああ、なにしてるの。 しゃがみこんで茶葉を拾い集めようとしたら、その指先が震えていた。気付けばしゃがみ込んで丸めたからだ全体が震えている。 沖田さんの優しさを受け取ったわたしは、からだの奥から溢れそうな涙をこらえるのに必死だった。











千切れそうな青春を繋ぐ