最近はどういうのが流行ってんの?、と、そう言って土方さんが私の読んでいた雑誌を覗きこんだ。 私がデスクに広げていたのは、お昼休みに早めにランチを終えてここに戻ってくるついでに寄り道して買った、 私のような20代前半の女性をターゲットとしたよくあるファッション雑誌だ。 突然かけられた声が、いつもあちこちで交わされる声の中から無意識のうちに拾ってしまう低い声だったので私は余計に驚いた。 雑誌から目を話して声の方に顔をあげると、文句なしに整った顔が近くにあったので、私はどきどきとまるで学生みたいに 甘酸っぱく鳴る心臓を抑えながら、冷静なふりをして、なにがですか?と問い返す。 土方さんが「これ」と言いながらデスクに広げられた雑誌のページを指差すのを目で追うと、 そこにはネックレスや指輪、ブレスレットなどのアクセサリーが煌びやかに並んでいた。





「こういう細い感じのが流行ってんのか?」
土方さんの節々が男らしさを主張する指は繊細そうなシルバーのネックレスを指した。

「……ネックレス、ですか?」
「指輪じゃないもんならいいんだけどな」





独り言みたいに言いながら、熱心な瞳で土方さんには不釣り合いのように思える眩しいくらいのアクセサリーたちを眺める。 私は数日前に耳に挟んだ、彼と、また別の同僚の会話を思い出した。


土方さんは言った。クリスマスプレゼントはどうしようかと。同僚は言った。指輪がいいんじゃないのかと。 土方さんは言った。指輪は少し重くはないかと。同僚は言った。確かになあ、と。 盗み聞きしていた哀れな20代前半の女は知る。密かに思いを寄せる人にはすでに大切な人がいるのだと。




そう。私はそこで蓋をしたはずなのだ。 この甘酸っぱい鼓動にも、これから先は気付かないふりをしていって、ゆくゆくはこの感情すら忘れ去ってしまわなければならない。 私はもう大人だから知っていた。早々に諦めることこそが自分を傷つかないための最善の防衛であることを。 だから私は少しも土方さんを好きだとは思っていないような顔をして、彼女へのプレゼントですかと問うた。 すると土方さんはまあな、と照れ隠しのように少し眉間に皺を寄せて、こういうのわかんねえんだよと苦い顔をする。

私は自分の感情を自分で誤魔化そうとするあまりに、バカなことを言った。よかったら私、一緒に選びましょうか。 その時は自分の言ったことに対して「しまった」なんていうことは思わなかった。 だからその言葉にいくつも付け加えを行う。 「女の子の意見として」「参考になるかもしれませんよ」 「あくまで意見ですから」「土方さんにはいつもお世話になっているので」「何かお役に立てるかも」「よろしければ、ですけど」

すらすら口をついて出た言葉たちに、土方さんは私の気持ちなんか微塵も読み取りはしないで、助かる、と素直な感情で私を受け入れた。 整った顔立ちの中で上品に持ちあがった口角を見て、私の心臓は懲りもせずとくんと高鳴った。





私が後悔するのは帰りの地下鉄の中で、だ。
なにが悲しくて、好きな人の彼女へのプレゼント選びを手伝ったりしなくちゃならないんだ。
ああばか、わたしのばか。












待ち合わせ場所には当然早く着いてしまう。休日の駅は溢れる人で賑わって、落ち着きもまとまりもなく雑然としている。 壁にもたれてちらちらと時計を見るけれど、約束の時間までは15分もある。時計の針はなかなか進まない。 いつもより丁寧に塗ったファンデーションは厚くないか、睫毛を伸ばすマスカラはダマになっていないか、頬に乗せたチークは濃くないか。 て言うか、髪、ボサボサになってないだろうか。 いつも一つにまとめているから今日は下ろしてみたけれど、やっぱりまとめた方が好印象だっただろうか。 そんなことばかりが気になるから、鏡を見て確認したかったけれど、 鏡を見ているときに土方さんがやってきたらいやだし、そう考えたら鏡は開けない。 時計を見てまだ針があまり進んでいないことを確認してうつむくと、今度は服装が気になった。 ワンピースなんか着て、気合入ってるなって思われないかな。ヒールは高すぎないかな。 ああもう落ち着かない。なんなら今すぐ逃げ出したい気分だ。

――――こんなに身なりを気にしてみても、今日はデートなわけじゃない。


斜め前で壁にもたれてしきりに前髪を気にしている彼女はきっと今からデートで、 携帯をいじりながらきょろきょろしているお洒落した男の子もきっと大切な彼女を待っている。 周りの人たちを見ていたら、夢から覚めたみたいにふとそんなことに気が付いた。 今度は、逃げたしたい気分とは反対に、パンプスのヒールが地面に根を張って動けなくなるような気分だった。 押しつぶされそうに切ない気分でここに立っているのは、私一人だけの様な気がしてきた、どうしよう。

そんなことを思ったところで土方さんが私の顔を覗き込んだ。





「悪ィ、待たせたな」





毎日のように会社で見ているその顔を見ただけで、私はバカみたいにまた胸を高鳴らせた。 慣れ親しんだそのときめきは、さっきまでの押しつぶされそうな切ない気持ちにあっさりと打ち勝つ。 頬が自然と緩んで笑みを作り、私が早く着きすぎちゃったんですと心なしか弾んだ声が紡ぐ。 斜め前の女の子と一瞬目が合う。彼はまだ来ないらしい。 彼女から見たら、私達はおそらく紛れもない、平凡なカップルなんだろう。





「……初めて見ました、スーツ以外の土方さん」
「そうか?」
「なんか、意外とお洒落なんですね」
「あ?」
「もっとダサいと思ってました」





ふふ、と笑うとふざけんなよと土方さんが私の頭を軽く小突く。 一瞬でとても楽しい気分になってしまう。外で土方さんの隣を歩くのなんて初めてのことだ。 私は少し高いヒールを履いているのに、土方さんとはちゃんと身長差が出来ている。 土方さんって、こんなに背が高かったんだ。息が苦しくなるくらい、どきどきした。まただ。 私、彼を諦めるつもりなんて本当はないんだきっと。だって心臓はこんなにも正直だ。 それでも現実は変えられない。 今日の目的は、会ったことも見たこともない、好きな人の彼女のためのプレゼントを選ぶこと。 すうっと息を吸って、私は土方さんに笑いかける。従順で良い、職場の後輩の顔をする。





「いいプレゼントが見つかるといいですね、土方さん」











賑わう街を歩きながら、時々お店に立ち寄ってアクセサリーを眺める。 私が普段街を歩く中で、いつか大切な人と来れたらなと憧れていたお店も回る。 どこからどう見たって私達は幸せそうなカップルだ。 店員さんが話しかけてくれることもあったが、私は笑顔できれいに切り抜けた。 私の隣にいるどう見たって格好良いこの人は、私のためにこれを買ってくれるわけじゃないんです。 心の中でそう店員さんに呟きながら、自分に言い聞かせる。土方さんの大切な人は私じゃない。 私がこれなんかどうですかと指差しながらアドバイスをするたび、土方さんは真剣に考えていた。 大切な彼女のために、彼はとても真剣だった。



いくつか店を回って、休憩でもしようとカフェに立ち寄る。 私はミルクティーを、土方さんはブラックコーヒーを頼んだ。 ほどなくして温かそうな湯気の立つカップが二つ運ばれて、 それを飲んだときに少し肩の力が抜けたのを感じ、自分が緊張していたことを知る。 土方さんは会社にいるときと同じような顔をして、同じようにコーヒーを飲む。





「土方さんの彼女さんって、どんな人なんですか?」
「……普通」
「普通って、なんか、ないんですか?写真とか」





やめておけばいいのに、私は女子高生みたいに目を輝かせた。

「ほら、写メとか見せてくださいよ」


そう言うと、土方さんは渋々といった感じでポケットから携帯を取り出して画面の上で指をスライドさせた。 流行りのアクセサリーや洋服のことは何もわからないくせして、流行りのスマートフォンは器用に使いこなしている。 私は土方さんが画像フォルダを探っている様子を見ながら、嫌な早さで警告を鳴らす心臓に唾を飲んだ。 見ない方がいいに決まっている。知らないままで、その方がずっといいに決まっている。 顔を知ってしまったら、土方さんがその彼女と一緒にいるところをより鮮明に、リアルに想像できてしまうから。 写メなんかねーよ、と、私はどこかでその言葉を待っていた。 そうしたら、見たかったのになあと残念がることができる。えー、と残念な声をこぼす準備は出来ていた。 しかし土方さんはスライドさせていた指を止めて、照れ隠しのように眉を顰めて私を見る。





「写メとか、見てどうするんだよ」
「どう、って…… ほら、顔が分かっていた方が選びやすいじゃないですか、ネックレス」





どうやら残念がる演技など不要らしい。土方さんは少しためらうような素振りを見せる。 土方さんの彼女というものに興味津々である、という演技の途中の私は、その演技のスイッチを切れずに 勢いで土方さんの携帯を覗きこむ。写メあったんですか?と言いながら。 すると土方さんはこれしかねーけど、と照れくさそうに私の前に画面を向けた。 画面を見て数秒後、言葉がひとりでに口をついて出た。



「……きれいなひと」



それは部屋の中で撮られたようなもので、振り向いた彼女が並びの良い白い歯をのぞかせて笑っている。 携帯を買ったばかりの頃に、そのカメラ機能を試すように土方さんが彼女を撮ったのだろうと思われる写真だった。 細く柔らかそうな薄茶色の髪に、まさに透き通るような白い肌。儚げで、けれど芯が通っていそうな雰囲気。 彼女はとてもきれいだった。ほぼ無意識に言葉が口をついて出てしまうくらい、きれいなひとだった。 驚くほどに自然な笑顔は、土方さんにだけ向けられる笑顔なんだろうと思う。 そしてその笑顔を見て私は確かに感じるのだ。おそらく、彼女は今とてもとても幸せだ。 おまえ見過ぎ、と土方さんが画面を背けるまで、私はただ画面の中の彼女に見惚れていた。





「きれいなひとですね」





思わずもう一度口に出して言うと、土方さんは照れくさそうに「普通だよ」とコーヒーを飲んだ。











あっという間に陽が傾いて、遠くの空が橙色に焼けていた。 隣を歩く土方さんは、彼女にプレゼントするシルバーの細いネックレスを買って穏やかな表情をしている。 少し見上げた位置にある整った横顔に、触れることのできる日は来ないのだと思い知る。 わざと彼女に似合わなさそうなものを選んで、勧めようかと思ったりもしたけれど、 結局大真面目に彼女に似合いそうなネックレスを勧めた私は我ながらお人好しだなと思った。 本音を言えないまま、ただ土方さんの隣を歩いて身長差を感じる思い出みたいなものだけ胸に残してもう駅に着く。 土方さんの家と私の家は真逆の方向なので、ここでお別れだ。





「今日は助かった、ありがとな」
「いえ、喜んでくれるといいですね」





ああ、と笑う土方さんは今まで見たことないくらい優しい笑顔をしている。 画面の中で見た彼女の笑顔と同じ。幸せなんだろうなあと伝わる、満たされた人の満たされた笑顔。 じゃあまた明日な、今度必ずお礼するから。そう言う土方さんに私は愛想笑いみたいな中身のない笑顔を浮かべて頷く。 軽く手を振って土方さんと別れ、お互い真逆に歩き出す。 数歩歩いて振り返れば、人ごみに消えていく土方さんの背中を私は一瞬で見つけられる。 さっきまで隣にあった存在はもうあんなに遠くなった。





馬鹿馬鹿しい。



私は心の中で呟いて、踵を返して歩き出す。 改札を抜けたときになぜかふと、土方さんがスマートフォンを使いこなす姿を思い出して可笑しくなった。 それと同時に現代のハイテクな機器の中におさめられた彼女の笑顔が頭に浮かぶ。 地下鉄を待つ列の最後尾に並んで、今日一日を振り返ってみたら、何だか泣きたくて泣きたくてたまらなくなった。 それでもこのたくさんの人に囲まれた中で涙を流す勇気はない。 子供みたいな片思いをしていたって、私はもう立派な大人だった。泣きたい気持ちを理性で抑えられるほどに。 慣れないパンプスに押し込んだ足が、一日中歩いたおかげで浮腫んでしまって痛かった。













継ぎ接ぎだらけの恋をした
( 地下鉄、まだかな。 )