映画でも連ドラでも、ドラマティックな展開の時には都合良く雨が降った。 そんなベタなことが現実にあるものですかと、冷えたリアリストの私はそれを鼻で笑ってしまう側の人間だったけれど、 たった今突然降り始めた土砂降りの雨には思わず「ドラマみたい」と呟かずにはいられなかった。 傘を持っていなかった私は大粒の雨に打たれて一分も経たぬうちにずぶ濡れになり、 困ったなと思いながら歩き続けて建物の裏に捨てられていたボロ傘を見つける。 それを拾って開いてみると穴が開いてはいるがさほど支障はないようなのでそれを差してまた目的の場所まで歩き始める。 たしかあと少しだったはずだ。着物の裾はすでに泥だらけだ。




私が働いている反物屋に桂が訪ねてきたころはまだ空は晴れていた。 めずらしい来客だ、と思うと同時にきっと碌でもないことが起きたのだろうとどこかで予感した。 案の定、久しぶりだなと挨拶もそこそこに桂は私への碌でもない用件を切り出す。 桂の話は今日が何の日か覚えているかという問い掛けから始まり、銀時を迎えに行ってやってくれというところに繋がった。 銀時がどうしてどこへ行ったのか、詳しい話を聞かなくともわかった。 あいつはまだあの日を生きているんだと、桂は同情に似た色を含んだ瞳で言った。 私から言わせれば、あんたもまだあの日を生きているよ。と思ったけれど言わないでおいた。

私は桂の話に了承して、姐さんに頼んで店を抜け出し一年前焼け野原だったあの場所へ向かう。 今日は忘れもしない、戦争が終わった日。あの日から今日で一年。 あの日焼け野原だったあの場所は現在埋め立てられて草木の生い茂る、野原と呼ぶには少し荒々しい空き地になっていた。 その場所に生えている戦争により焦げてしまった一本の立派な大きな木は今もなお存在していて、なにやら気味が悪いと言われて伐られることもない。 広く残る土地も、工事を行おうとした作業員に不幸が起きる事件が何件かあったので、今じゃ誰も手をつけなくなっている。 私ももうその場所に足を運ぶことはなかった。その場所に行ったところで、かつての仲間の墓があるわけでもない。なにがあるわけでもない。 焦げた一本の大木に馳せる思いももう肩から下ろしてしまった。




痛みしかないあの場所に、一年振りに足を運び、一年前に取り残されている仲間を迎えに行こうとしている私に、 土砂降りの雨はまさに映画やドラマのありがちな演出だった。 たいして役に立たないボロ傘じゃ雨も防ぎきれず、雨を吸って重たくなった着物を纏って歩き続けて、私は其処にたどり着く。 適当に均された土地は足場が悪く、雨でぬかるんでいて歩きづらい。私は泥に足をとられながらぬかるみを歩いて大木を目指す。 かつてその銀の髪と白い肌を真っ赤に染めて戦っていた男はその場所にいた。 焦げた一本の大木を見上げて、傘も差さずに土砂降りの雨に打たれていた。 後ろから近づいてみるけれど、視界を邪魔する激しい雨のせいで銀時の表情は読み取れない。 それでも悲痛さだけがひしひしと伝わる。ああ痛い。痛々しい。 私が銀時の名前を小さく呼んだ声は雨が傘や地面を打つ音に紛れて消えてしまった。





「ねえ、銀時」





雨音に負けぬように少し大きな声で呼んでみると、銀時は遅い動作で振り返る。 私は彼に近づいて行って、差していたボロ傘を銀時の方に傾けてやる。 銀時は何も言わず黒いだけの瞳を揺らしていた。 泣いているのかなどわからない。髪から滴る雨が彼の頬を何粒も流れた。 視線を交わし合った後、銀時が木を見上げるから私もそれに続いて視線を上げた。 そのまま暫く私達は何も言わなかった。雨音だけが響く沈黙が流れる。強い雨に打たれ続けて傘が壊れてしまいそうだ。 私はやっぱり、改めてこの場所に足を運びこの焦げてしまった大木を見上げても、一年前に馳せる思いは無かった。 それでも銀時が何を思っているのかは分かった。ずっと知っていた。 こんな場所に来たってもう意味などない。彼が思っていることも意味がないことだ。 私はまだ止まぬ雨音に負けないハッキリとした声で言う。





「もう一年だよ」





すると銀時から返って来た声は意外とセンチメンタルを欠片も持ち合わせていなかった。

「早ェなァ」
「うん」
「……おまえ何しに来たの」
「銀時を迎えに来た」
「お母さんかよ」





軽く笑って言う銀時はまるでいつも通りだ。 いつも通りの振りをしているだけなのかなんなのかはわからない。私はそこまで銀時を知らない。 ただこのままだと、来年も銀時はここへ来るだろう。 来年のこの日も、こうして今日のように一日中立ち尽くして、あの頃共に戦っていた同志に繰り返すのだろう。 ごめん。ごめんな。って。





「銀時のせいじゃないよ」





銀時はぴくりと眉を動かして、感情を揺らして私を見た。 なんだか銀時が少しでも濡れるのが可哀想に思えてきて、私は傘を全て銀時の方に傾ける。 そのおかげで振り続ける大粒の雨が頬を直接打つけれど、そんなことはどうでもよかった。 すっかり蓋をして置いてきぼりにした記憶が雨で溶かされて流れてくるように脳裏に蘇る。 あの頃私は銀時が一人で膝を抱えて震えていたのを見かけたことがあった。仲間が何人も死んでいった日だ。 目の前で昨日笑いあった人間が死んでいくのを見るのなんて、あの頃は珍しいことではなかった。 悲しんでいる暇はなかった。悲しみで生まれた隙は自分の命の終わりをつくることになる。 そうしてあの頃は完全に麻痺していた。生も死も、尊いものなど何もなかった。 ああこんなこともう忘れて閉じ込めた筈なのに。私は自分にも言い聞かせるように、私を見つめる銀時に言う。





「戦争は終わったんだよ」
「……わかってる」
「一年も前に終わった」
「………」
「みんなが死んだのは銀時のせいじゃ、」





バシャン、と地面に転げて泥を跳ねさせて傘が私の手から落ちた。強い力に抱き締められて息が苦しい。 すべて言い終える前に銀時が両腕で私を強く抱きしめて、違ェんだ、と弱々しく耳元で呟く。 私は左腕を銀時の背中にそっと回す。何?と細く尋ねると、泣いているみたいに大きな背中が震えた。










「お前の右腕は、俺のせいだ」





ああだからこんなところまで来たくなかった。あんな時のことすっかり忘れ去ってしまっていたいのに。 あの頃、誰よりも強くて皆から慕われていた銀時を私は失いたくなかった。 銀時の前に飛び出していったのも、私自身がそうしたかったから。 銀時のせいじゃないよ。生きているだけ私は幸せだよ。繰り返し言っても、たぶん銀時の心の底には一生届かない。 左腕だけで銀時をなだめるように背中をさすって私はもう一度言う。「戦争は終わったんだよ」











枯れた雨音
 ( たぶん、私の右腕が無い限り彼はあの日を生きたまま )