ミツバさんが死んだ。 死んだなんて言葉で片付けてしまうのはとても無情に聞こえてしまうけれど、 事実を述べたその一文を、私はぽつりと心の中で呟く。 総悟はミツバさんが大好きだった。総悟だけじゃない、土方さんも近藤さんも。 私はミツバさんをよく知らない。だからそれを知ったって涙の一粒だって零れなかった。 彼女が江戸に来ていたときに、総悟に一度紹介してもらっただけで、それ以外は会っていない。 彼女が入院してるって聞いても、私は仕事でお見舞いになんか行けなかったし、 結局何を話すこともできないまま彼女は死んでしまった。 総悟は私になにも言わなかった。ミツバさんが危ない状態のときも連絡はくれなかったし、 死んじゃったことだって近藤さんから聞いた。 総悟が辛いときに、私は支えてあげられなかった。 どうして私を頼ってくれないのなんて自分勝手なことは言わない。 気付けなかった私がいけないんだから。


頬杖をついて橋の上から石を落とす。ポチャンと水が跳ねる。
死んでしまったミツバさんは私をどう思っていただろう。
もしも今ミツバさんが生きていたら、私は彼女と何を話しただろう。




「元気かィ、お嬢さん」




総悟が橋の真ん中まで歩いてくる。
「ええ、勿論」と私は笑う。
大切なお姉さんを亡くした総悟は至っていつも通りだった。
手に持っていた石を落とす。ポチャン。




「もう落ち着いた?」
「…まあなァ」




くだらない質問をした。 人を亡くしたというのに、そんなにも早く落ち着けるわけがない。わかってる。 やっぱり私はどこかでたまらなく思っているのだ。 隣の総悟を見て、ぎゅっと手を握る。 大きな手。この手でミツバさんの最期、冷たくなった手を握ったのだろうか。 そうしてミツバさんに縋ったのだろうか。 総悟が瞳の奥にどんな表情を感情を隠しているのかが気になって、私は目を逸らせなかった。 すると総悟はふっと笑う。




「何泣きそうな顔してんでィ」




その言葉に我に返ったようにぱっと目を逸らして、そんな顔してないよと強がった。 手を握る力を抜いたけど、繋いだ手は剥がれなかった。 いつの間にか総悟のほうが強く私の手を握っていた。 橋の下を静かに流れていく川を眺める総悟の横顔からは すべての悲の感情が読み取れて、どんな感情も読み取れない。 ひどく矛盾した表情。 ぎゅうっと喉に何か押し込まれたみたいに苦しくなる。




「好きだよ、総悟」




太陽は気付くと真っ赤に染まっていて、穏やかに確実に沈んでいく。 ぎゅっと握られた手を私も握り返した。 一度だけ会ったミツバさんを思い出す。彼女はもう死んでしまった。 その事実にふと気付く。 総悟だっていついなくなってしまうか分らないのだと。 大切な存在が自分の中でどんどん大きくなっていくほど、失うことが怖くなる。 総悟はそれを、身をもって知ったのだ。 私もこれから、それを知っていくのだろうか。 総悟を大切だと思えば思うほど、好きだと思えば思うほど。




「どうしたんでィ、急に」

くしゃっと繋いでいないほうの手が私の頭を撫でた。
泣きたいのは、泣くべきなのは総悟のほうなんだと思う。
だけど涙なんか見せないから、私のほうが泣きたくなった。


繋いでいた手をぱっと離して橋の縁に手をかけた。 そのまま自分の体重を持ち上げて、飛び降りる。 躊躇なく川へダイブ。バシャンと大きな音がして水が飛び散った。 一瞬息が止まった気がした。だけど恐怖はなかった。 ぶはっと水中から顔を出して酸素を吸い込んだ瞬間、 「!」と総悟が大きな声で私を呼ぶのが聞こえた。 それと同時に総悟が橋から落ちてくる。 バシャンッとまた派手な音を立てて、派手に水が飛び散るから、私はぎゅっと目を瞑った。 川は私がギリギリ足がつくくらいの深さだった。総悟が水の中から顔を出した。


怒鳴られるかと思って覚悟は出来ていた。
だけど総悟は泣きそうな顔をしていた。

私が動くとパシャ、と音を立てて水が揺れる。
「総悟…」
濡れた総悟の頬にそっと触れる。
途端、ぐいっと半ば乱暴に抱きしめられた。




「何してんだ…」

すべてを浄化したかったの。 川があまりにも綺麗に穏やかに流れているから、水はすべてを綺麗にしてくれる気がしたの。 それに沈む夕日が水面まで赤く染めて、血みたいだったの。 なんだかたまらなくなって。 でももっと深かったり、浅すぎたりしてたら死んでたね。 飛び込んだ理由を紡ごうとしたけどやめた。 私の背中を肩を強く掴む総悟の腕は、小さく震えてた。




「このまま、溶けちゃえばいいのに」




総悟と私、どろりと溶けて一体化して、川に流れて浄化されたら。 息が止まりそうなほどの力で私を抱き締める総悟のすべてになりたいと思った。 時折訪れる失う不安を拭えないのが苦しいから、 愛しいと想うほどに増していく失う恐怖を感じるのが悲しいから。
総悟は抱き締め直す度に、と何度も私の名前を呟いた。 私は総悟の強い力に震える呼吸をしながら、一度だけ会ったミツバさんの笑顔を思い出した。 彼女は最期、笑っていただろうか。 平和で悲しい水音を立てる川の水が冷たい。





川底の人魚姫
(恐らく優しい彼女は幸せに、皆の幸せを祈りながら沈んだだろう)