「こんなところにいたのか」 声が降ってきてふと顔を上げると、 局長がいつものあったかい気持ちになるような優しい笑顔を浮かべて立っていた。 いつもと同じ笑顔。だけどちがう。 その笑顔の裏にひっそりと隠されたほんの少しの影を、私は読み取ってしまった。 私はしゃがみ込んだまま、局長が来る前から撫でていた猫に再び触れた。 「おお、猫か」 「さっき入ってきたのを見つけたんです」 そうか、と相変わらずのやわらかい声で言って局長は微笑む。 私は茶色の模様が散った猫の背中を何度も往復して撫でながら、総悟を思い出した。 くるりと丸い目をした猫の目を覗き込むと、いつだって楽しそうに悪戯を探している総悟が浮かんだのだ。 私は猫に視線をやったまま、一緒になってしゃがみ込んだ局長に声をかけた。 「ねえ、局長」 「なんだ?」 「総悟、部屋から出てきませんね」 目は合わせていないし、顔を見ているわけでもないけれど、 局長の表情が強張ったのを私はなんとなく空気から感じ取った。 それでも局長は動揺を塗り固めるようにして、そうだな、と相槌を打つ。 いつもの声のトーンで話すよう努めてくれたのだろうけど、私はその声が少し震えていることに気づいてしまった。 平然とした表情を貼り付けて、今度は猫の頭を撫でる。 そのままするりと喉を撫でてやると、その猫は目を細めてゴロゴロとうれしそうに喉を鳴らした。 「総悟って猫みたいだと思いませんか?」 そう言うと局長は私が普通の話題を振ったことに少しだけほっとしたのか、さっきより解れた声でああ、と頷いた。 私はそこで初めて局長と目を合わせて、にこりと笑った。 局長もあったかい笑顔で笑みを返してくれた。 すると局長は私がいつも通りだということに安心したのか、いつものような調子で話し始める。 「あいつは気まぐれだからなあ」 「悪戯っ子でマイペースで。自分勝手なのに、可愛いやつなんですよねえ」 局長は笑った。猫は地面に寝転び、丸くなってうとうとと目を閉じた。 私は眠ろうとしている猫のお腹をゆっくりと撫でる。 「総悟、死んじゃうんですか?」 何の前置きもなく、せっかくの穏やかな空気を切り裂くように呟いた言葉に、局長は凍りついた。 私は表情一つ変えずに猫を撫で続ける。 猫が眠ったころに局長の方を見ると、局長は言い表しようのないような、複雑な表情で私を見ていた。 だけど局長は固まってしまった頬の筋肉を必死に和らげるようにして微笑みを作り、 私を安心させるようにそっと頭を撫でてくれた。 「総悟なら大丈夫さ」 局長の声はもう、局長をよく知らない人でもわかってしまうくらい、震えを隠しきれていなかった。 でも目が合った局長はやっぱりあったかく笑っていて、だけどやっぱり、今度ははっきりと影が見えた。 私は大丈夫だという局長の言葉に安心させられたけど、本当はぜんぶわかっていて、 局長の優しさと世界の残酷さに少しだけ泣いてしまった。 終末のリハーサル (せめてあなたの前では泣かないように、私は何度もリハーサルをするの) |