つい最近近くに出来たコンビニで買った雑誌とグミとアイスの入った袋をガサガサと揺らしながら、 帰り道でアイスが溶けてしまわないように日陰を選んで歩く。 今年は猛暑だって、最近じゃ夏は毎年そうやって言われてる。 今年だって例外なく「猛暑」ってやつで、太陽から逃げるように影へ身を寄せてみても、 コンクリートが呑み込んだ熱が足元から迫るから、背中や額に汗がにじむ。 溶ける溶ける、溶ける。右手で揺らす冷えたコンビニ袋は時折私のふくらはぎを叩いて、私を急かす。 はやく帰って冷凍庫へ。はやく帰って冷凍庫へ。 ていうか今食べちゃえばいいじゃん、と袋の中でアイスが言うけど、私はエアコンの効いた冷えた部屋で この雑誌を読みながらアイスを食べるって、家を出たときから決めたんだからそうはいかない。



安定して続いていた、立ち並ぶ家がつくる日陰は途切れて、私はついに太陽の下に放り出される。 そして追い詰めるようにあらわれた信号。生憎の赤信号。 あっつ、と独り言が漏れる。額の汗を無造作に拭って眉の上で手を翳し、憎らしい青空と赤信号をにらむ。 田舎は空が広い。それはとても素敵な事なのだけれど、今はそれすら憎らしい。 いつまでもうるさい蝉の声は一日中聞きすぎてもう慣れてしまった。 交通量も多くはないために信号無視も実は容易い。それでも私のモラルが交通ルールに従わせている。 ああはやく帰らなければアイスだけじゃなくて私まで溶けてしまいそうだ。 はやく帰って冷凍庫へ。はやく帰って冷凍庫へ。今年は猛暑だ。たぶん来年も、猛暑だ。




青に変わった信号を見て横断歩道を渡ると、私は早足で建物の陰に飛び込む。 少し遠くから私と同じように陰を縫って歩く男の子を見つけた。 私は少し目を細めて、白い肌と細い身体に柔らかそうな髪がわかると、 さっきまで頭の中のほぼすべてを占めていた暑さを忘れた。自然と足が止まる。 向こうから歩いてくる男の子はどんどん近くなってきて、 おそらくうだるような暑さに俯けていた顔をふと上げたとき、丸い茶色の目と目があって私は確信を得た。





じゃねェか」






くるっと丸い目をさらに丸くして近づいてきた彼が声も出ない私を覗きこむ。 私を覗く懐かしいその顔は、魔法のような一瞬で私を高校生にした。高校生の私。2年前の私。 東京なんて新幹線ですぐだと、強がりを言ったあの頃のきれいな思い出。 重たい雪が景色を染めていく中で、冷たい空気に肩をすくめて握った手の温度。 総悟はもともと色素の薄かった髪がさらに明るくなって、見たことないTシャツを着て洗いざらしたジーンズを履いていた。 当たり前だけど、制服じゃない。あの思い出とは違う総悟。二年と言う時を経た、今の総悟。私は渇いた喉を開く。




「総悟……?」
「変わらねーなァ
「なに、なにしてんの」
「夏休みだからこっち帰ってきたんでィ」




あの頃と変わらない声と話し方に、私は目の前にいるのが本当に総悟なのだと実感する。 恋人と言う関係の名を持っていたあのとき、私達はいつしかその名前を失った。 東京に行ってしまった総悟から、連絡は来なかった。 0彼は東京に行ったきり、その年の夏も、冬も、此処に戻ってくることはなかった。 お別れを言った覚えはなかったし、言われた覚えもなかった私はただ携帯が鳴るのを待っていたけれど、 いつしか賢明な判断をした。終わりを静かに受け入れて、思い出を静かに引きずった。 総悟はまるで私との日々なんてなかったかのように、 東京は暑いからこっちに来たら少しは涼しいかと思ったけれど、 こっちはこっちで暑ィなと言うようなことをすらすらと喋る。 私は聞きたいことがたくさんあった。お別れも言わずに、私を中途半端に切り捨てた総悟を許したわけではなかった。 それでも総悟を目の前にしたら、不思議なくらい、情けないくらい何も出て来ない。 あの頃よりずっと大人びた総悟を少し見上げて、私は時の過ぎ去った現実を噛み締める。 時を飛び越えてきたみたい。高校生の私が、大人になった総悟を不思議そうに眺めている。 額に滲む汗も忘れて、さっきまで憎んでいた青空の下で。




「土方のヤローにも会ったけど、変わらねェな」
「…土方……」
「帰ってきてまだ土方にしか会ってねェ。奴らみんな何してんでィ」
「総悟、背、伸びたね」
「……伸びねーよ」
「ええ?総悟ってこんなに大きかったっけ」

「…相変わらずとぼけてんなァ、お前」




あ、わらった。


相変わらず。そう言ってわらった。



この笑顔を私は覚えている。二年も会わない間に閉じ込めた記憶が、ぽろぽろとこぼれ落ちる。 相変わらずと言えるほど彼は私のことを覚えていたのだと、胸の奥が軋む。無理矢理に掛けた鍵が壊れそうだ。 総悟はいつも大きく表情を動かすことはなくて、素直に笑うこともめったになかった。 だからふとした瞬間にこぼれる素直な笑顔を、私はいつも見落とさないように必死で、 こぼれた笑顔を拾うたびにうれしくて心臓がきゅんとなるのをそっと隠した。




ああ覚えている。総悟の「相変わらず」を、私はまだ。















「……スイカバー、溶けちゃう」







冷たいものをいつまでも閉じ込めて汗をかいたコンビニの袋が、 私の日に焼けたふくらはぎに水滴を伝わせて存在を主張した。



「は?」
「私はやく帰らなきゃ。暑いし、はやく帰ってこれ冷凍庫に」
「スイカバーってお前」
「ねえ、総悟はどうしてずっと連絡くれなかったの」



私達の隣を何人かの高校生が自転車に乗って颯爽と通り過ぎて行った。 数年前、私達も彼らと同じ高校生だった。 しかし今は違う、通り過ぎていった彼らを青春だなあと羨むだけ。 袋の中のスイカバーはおそらくすでに溶けてしまっているだろう。 唐突な私の言葉に、総悟は丸い目を少し泳がせた。 蝉がうるさい。蝉の大合唱をしばらく聞いていなかった総悟の耳は、私の小さな呟きを拾えない。











溶けゆく記憶の粒の果て
「私は総悟を待ってたよ、ずっと。」