さんは近所の小さな和菓子屋さんで働いているごく普通の女の子だったから、 僕は初め、彼女が沖田さんと付き合っているなんて話を聞いたときとても驚いた。 沖田さんとさんが一緒に居るところは一度だけ見たことがある。 夏の暑い日に、ゆらゆら揺れている蜃気楼から逃げて店の前に出来た屋根の影の下に二人しゃがみ込んで、なんだか平和そうに話をしていた。 僕はそれを遠くに見ただけで、あああの話は本当だったのか、と何となく思っただけだった。 それから特に二人のことを思い出すこともなく、今になり、買い物に出かけた帰りに随分と久しぶりにさんに会った。 久しぶりなどと挨拶を交わした後、帰る場所が同じ方向なので一緒に帰路を歩く。 同じ年だと言うこともあり、気楽にいろんな話をし合っている中で、話の流れは自然と沖田さんのことになった。 さんは沖田さんを「総悟」と呼んだ。僕はそれがなんだか不思議で、本当に普通に普通に生きているはずの彼女が、 命がけの日々を送っている沖田さんとどうしてそのようになったのだろうととても気になった。 ぼんやりと、どのように出会ったのかを尋ねたら彼女はどこか意味深に笑っただけで、確かな答えはくれなかった。 けれど根掘り葉掘り訊くことは野暮な気がして、僕は彼女のゆっくりとした歩みに合わせながら、 さんの方から話されることを貴重な話のように感じながら聞いていた。 話はいつしか総悟と神楽は仲が悪いのよね、なんてさっぱりしたものからだんだんと深い方に流れて行く。 僕はつい、怖くはないのかと尋ねてしまった。沖田さんは仮にも真撰組という場所で働いていて、人を殺めている人間だ。 それはもしかしたら触れてはいけない部分だったのかもしれないけれど、 さんは特にそんな様子は見せずに、そっと、僕に奥底の泥に触れさせた。






「総悟はね、悲しいがもうわからないの」







さんの横顔からは、僕が今まで生きてきて出会ったたくさんの人の、 たくさんの表情の中のどれにも当てはまらない、初めて出会う印象を受けた。 表現の仕方が分からない、もしかしたらこの世に存在する言葉なんてものに嵌めてしまうのは 愚かなことであるのかもしれないとすら思う、不思議な表情だ。 遠くを見る目は沖田さんを思い出しているように感じられる。







「人を斬っても、殺しちゃっても、もう、悲しくは無いの」







遠くか、近くか、わからないけれど聞こえる、無邪気に遊びまわる子供の声は いつの間にか僕には聞こえなくなって背景に溶けていた。僕の耳はさんの言葉だけを拾う。







「だから私が悲しむの。私が悲しいと、総悟は悲しいから。そしたら総悟は、悲しむことが出来るから」







わかるような、わからないような理屈を紡いださんに、僕は言葉を見つけられなかった。 ただ僕は一つ、静かに理解した。近所の和菓子屋さんのさんは、普通の普通の女の子ではなかった。 にこにこ笑って楽しそうに世間話をする彼女しか見ていなかったから知らなかったけれど、 彼女の心はとてもとても、表からは知り得ない深さを持っていた。 僕はさんの不思議な話を、不思議な気持ちで聞いていたけれど、濁った中にふとはっきりとしたものを思う。 (でも、それじゃあ、) それを言葉にしようと息を吸ったとき、さんの方が先回りして言葉を吐いた。「ねえ、」







「新八くんは、総悟が怖い?」







僕の目は見ないで、俯いて足元の小石を軽く蹴飛ばしながらさんが尋ねるから、 僕は首はすぐに首を横に振って沖田さんは優しい人だと答えた。 するとさんは顔を上げて僕を見て、よかった、と安心したように笑う。僕も笑い返す。 もうすぐそこに万事屋が見えていて、僕は足を止めてさんと別れる。 それじゃあまた、と言ったら、さんはいつもお店で見るようなにこにこした笑顔で手を振った。 僕は違う道を曲がって行くその背中を見送って、なんだかひどく、やりきれない、焦燥に似た感情を持て余す。 「よかった」と言ったさんがあまりに普通の幸せな女の子のように、うれしそうに笑うから、僕は遂に何も言えないままだった。





(でも、それじゃあ、二人はずっと悲しいままじゃないか)











鳴らない旋律