夕飯の支度があるからと言って早々と服を着てしまったさんを見ると、 俺は嫌でも何も知らずにさんの作った飯を食って彼女を独り占めできる 幸せな男の存在を思い知らされる。顔も知らない男はいつも確かに存在していて、いつも彼女を連れて行く。 俺はそれを、黙って見ていることしかできない。 ベッドに腰掛けてピアスをつけているさんの背中を抱き締めて、今そばにある彼女の存在を確かめる。 俺が彼女に触れられるほんのわずかな時間を少しでも無駄にしないように、 出来る限りで彼女に触れてこの腕の中に閉じ込めておきたかった。 耳元にキスをすると、さんはくすぐったそうに笑う。





「次はいつ会えるんでィ?」
「学校へ行けばいつでも会えるじゃない」
「学校じゃさんに触れられねェ」





保健室に行けばさんはいるけれど、大抵他の生徒がいたり、当然だけどさんが仕事をしていたり、 決してばれてはいけないということもあって彼女に触れられることはない。 さんは笑ってまた連絡するからと言ったけれど、俺は待てないと言って彼女を強く抱きしめる。 明日は土曜で、明後日は日曜。子供だと笑われるかもしれないが、二日も顔が見れないのは嫌だった。





「明日は?」
「無理ね。 明後日はあの人の誕生日なの」





プレゼントを買いに行かなくちゃ、と言うさんに、俺は抱きしめていた力を緩めた。 するとさんは俺の腕をするりとどかして、頬に小さくキスをして、またすぐに会えるよと囁く。 さんはずるい人だ。それから、大人だ。俺は急に頭に血が上ったように感情が抑えられなくなって、 立ち上がったさんの腕を強く掴んで引っ張った。バランスを崩したさんがベッドに倒れこみ、 俺は彼女を逃がさないように両手首を抑えて彼女に跨る。 きゃ、と小さく声を上げたさんを恐ろしいほど簡単に抑え込めてしまった自分に気がついて、 俺の下で困ったように眉を顰めている彼女を見て俺は一瞬で冷静を取り戻す。 どこにも行かないでここに居て俺のことだけ考えて欲しいと、喉まで出掛けた言葉は一気に押し戻されていく。 無理矢理にでももう一度やりたいと思って押し倒したくせに、唇すら重ねられない。 単純にさんの困った顔が怖かった。 結局彼女の上から退いてか細い両腕を引っ張って起き上がらせてやり、 すっかりうまくなってしまった作り笑いで笑うとさんは安心したような顔をした。





「さっさと帰ってくだせェ」
「…急に冷たいんだから」





くすくすと笑ったさんに今度は俺の方が安心する。 関係を壊すのは怖かった。呼吸をするのも困難なくらい息苦しい日々は続くけれど、 この生温い関係を繋いでさんを抱ける幸せに溺れた方がずっと良かった。 じゃあねと俺の髪を一度くしゃっと撫ぜた彼女は、今日も自分のそばから離れて帰って行った。 しんと静寂だけ取り残された部屋で、俺はまた息をするのが下手になる。







(彼女がどれだけずるくたって、どうしても手放せない)