15の時。お国の為に死ぬことはとてもとても名誉なことなのだと、同じ仕事場にいたお婆が教えてくれた。 こんな時代に生まれた私はそれをおかしいと思うこともなく、そうかあ、と思った。 どうしてだろう。とどこかで思っていたけれど、それを追求する気も特には起こらない。 こんな時代だからだ。みんなみんなこの国の為に生まれてこの国の為に死んでゆく。 それはもうすっかり決まってしまったことだ。だけど私の心の隅の、そんな時代を憎む心は言う。 「それはとても、悲しいことです」呟いた私の肩を、お婆はそっと叩いた。











17の今。目の前で、明日飛んでくると言った銀さんに、私はそんな事を思い出していた。 私が生まれて初めて恋心を抱いた、大切な大切な銀さんをも、時代が連れ去ってしまう日が来た。 私は言葉が出ないで、何も言いたいことが見つからないでじっと銀さんの顔を見つめる。 彼の表情からは悲しいも嬉しいも、なんにも読み取れなくて、私は静かに下を向いて、名誉、という言葉を頭の中で繰り返す。 銀さんはお国の為に死ぬという名誉なことを成し遂げる為に空へ飛ぶのだ。 「行ってしまわれるのですね」ぽつりと言葉に出来たのはそんな事。銀さんは「ああ」と肯定しただけ。 実感が少しも無くて、ただ心臓が締め付けられるような息苦しさに、私は地面を見つめながら眉を顰めた。 視界に入っている銀さんの靴は随分とぼろぼろになっていた。彼の日々の訓練が目の裏に浮かぶ。













低い声に名前を呼ばれて、私はゆっくりと顔を上げた。 銀さんは私の顔を見て、泣いているかと思ったと言った。 私は少し微笑んだ。 頬の筋肉が緩んだ私を見た銀さんが、確かに優しい顔をして、 そんな表情が私の中に、湧き出るようにじわりじわりと「実感」を滲ませた。 出会って間もない頃、私は銀さんに何故特攻隊に入ったのかを尋ねたことがあった。 銀さんは少しだけ空を見上げて、死に場所を空に決めたからだと言った。 私は心の中で銀さんの言葉を表情を何度も反芻した。 その言葉も表情も、少しも死を恐れちゃいなかった。



(どうせ死ぬんだ、だったら俺ァ空で死にてェ。)












「…お空で、死ぬんですか?」











死を口にしたら滲んでいた実感は大きな重い塊となってしまった。 そうしてずっしりと私の奥底に根付いてしまった。 優しい優しい目をした銀さんは、土で汚れたような帽子を一瞬深く被り下を向いたあと、空を仰いだ。 「そーさな」とやけに清々しい声で答えて。 帽子のつばを掴んでいない方の手がぐっと血が滲みそうに強く強く握られていたことに、 私は同じように空を仰いだ視線をふと落としたときに気が付いた。 触れたい、その強く痛く結ばれた拳を解いて差し上げたい、と思ってそうっと彼の手に触れようとした、けれど。 生まれた躊躇いが途中まで彼に近付きかけた手を止めた。 触れたらこの手はきっと温かい確かな温度を持っているのだろう、 そして大きな手いっぱいにこの上ない安心感と愛しさを感じるだろう、 私はそれが怖くなったのだ。それを覚えてしまったならば、私はこのまま彼を送り出せるだろうか。 そんな自信がない。送り出さなければいけないのに。



根付いた重い塊がぐぐっと喉まで出てきて息を詰まらせる。 どうしてですか?この人は本当に本当に、往ってしまうのですか?それは、どうしてなんですか? こんなにも近くにいるのに。生きて、いるのに。明日には、もう数えられるだけの時間の後には。 ふっと気を失ってしまいそうになる。 どんな思いを抱いているのか分からない、空を仰いでいる銀さんを、私はじっと見ていた。 網膜に焼き付けるように。そうしたら銀さんがそんな私に気が付いて、解けるように笑う。 すっと手が伸びてきて、私の頭に乗っかった。










「泣くんじゃねーぞ、










くしゃくしゃと髪を混ぜるように撫でられる。その手はとても大きかった。 銀さんは優しい優しい笑顔で笑いながら、私の頭を撫で続けた。 私は目の奥の奥で水が溢れそうになるのを必死でせき止めながら、 瞬きするのも忘れるくらい銀さんをただただ見つめる。 私の頭から離れた銀さんの手は、体の横でぐっと強く握られた拳をつくった。 私も自分の手を体の横でぐっと握り、強く強く固まった拳をつくった。 なんだかどこか別の世界にいるみたいな感覚がした。お婆は教えてくれなかった。 特攻隊員が本当にお国の為の死を名誉だと思っているのかどうか。 ねえでもそれはきっと、お婆も知っていたからなのでしょう?本当はそうじゃないって事。





堰を切ったように悲しいという感情が全身を流れる。 私はついについに涙を堪えることができなくなって、 目に溜まった涙がどうか落ちないように無理矢理に上を向いた。 ずずっと鼻を啜って必死で必死で涙を元に戻そうと瞬きを堪える。泣いてはいけないのだ。 私達は、いつだって飛び立っていく特攻隊員を笑顔で送り出さなくてはならない。 それは暗黙の約束だった。だから私は今までもちゃんと笑っていた。 彼らが悲しくならないように。彼らの心が少しでも落ち着くように。 泣いていいのは一人になった時だけだ。涙は誰にも見せてはならない。





だって彼らが飛び立っていくのは悲しい事ではないのだから。そうやって、この時代に教え込まれてきたのだから。 目に溜まりに溜まってしまった涙が一粒ころりと落ちた。私は上を向いたままそれに気づかない振りをする。 銀さんが、私と同じようにぐっと顔を上げて空を見上げた。 私は銀さんも泣きそうなのを堪えているのかと思って 彼の名前を呼びたかったけれど、声を出したら壊れてしまいそうだったから、出来なかった。 「なあ」銀さんが口を開く。その声はしっかりと通っていて、ああ、彼は泣いてなどいないのだと安心する。 私はその安心に少しだけおさまった涙を一気に飲み込み、はい、と小さく返事をした。














「俺ァ明日、お前を救う為に飛んできてやっから」














だから泣くなよ。上げていた顔を下ろして、そう言った銀さんと目が合ったとき、 私は一つ、短くて重いため息を吐いた。そのため息をきっかけに全ての力が抜けて、 必死に必死に堪えていた涙が声も音もなく、ただぼろぼろと流れ出した。 私は彼を送り出す為に、今までの特攻隊員にそうしてきたようにつらいのを小さく小さくして押し込めて、 一生懸命に作り出した笑顔を向けようと思ったけれど、出来なかった。 頬の筋肉は少しだって動いちゃくれないし、涙を堪える為に必死で噛み締めた下唇は言葉では言い表せない、 生まれて初めて味わった悲痛な感情に震えていた。固く握った両の拳が熱くて、痛い。 息を吸って、吐いて、飲み込んで、よく分からない呼吸をする私を見て、銀さんはもう一度、泣くなよ、と言った。 それは私が今まで生きてきて聞いてきた声の中で一番優しい声だった。 また命を乗せた塊が一機、生きている私達の頭上高くを飛んで行く。 あれに乗った隊員もまだ、沢山の想いを抱えて生きている。この世界は一体、何なのだろう。 私の頬を次から次へと流れていく涙を、銀さんの親指が拭った。 慣れない手つきで私に触れる、その体温は冷たくて、だけど確かに温かい。






は泣き虫だな。
とうとう嗚咽まで零れてしまった私の涙を、銀さんはただずっと拭いながら、笑っていた。

涙で霞んだ視界の中で見たその笑顔は、触れてしまったら壊れそうに儚く見えた。
そして不思議と、泣いているように見えた。

















「頑張って生きろよ」




























閉じた光
( そうして数時間後、彼はお空で死にました、 )