屍を踏みつけて逃げ回り、上がる息を抑えながらビルの隙間に飛び込んだ。 コンクリートの壁に背中を預けて呼吸を繰り返しながら ふと両手が空であることに気がついてひやりと汗が冷えるのが分かった。 握っていた手は、どうした?引いていたはずのの手がない。いつの間に放したのだろう。 俺は慌ててビルの隙間から飛び出し、また元来た通りを、同じように屍を踏みつけながら走って戻っていく。 。あいつがいなけりゃ此処まで逃げてきた意味がない。 何一つ守れなかったあの頃とまったく同じじゃないかと、自分の無力さに覚えた深い深い絶望感が顔を出す。 走って通り過ぎた、焼け焦げたビルの間に人が立っていたのを感じ、加速した体を止めて引き返す。 暗い暗いその路地にはが立っていた。俺は彼女の名前を呼んで、すると彼女は振り向いて、 けれど頭からか、頬からか、だらだらと血を流している。細い声で俺を呼び、 涙を流して膝から崩れた彼女を支えようと走ると、 俺よりもずっと早く、知らない男が彼女の着物の首根っこを掴み、まるで猫のように宙にぶら下げた。 俺はズザッと摩擦で足を止め、いつも腰元にある刀に手をかけたが、刀がない。 自分が丸腰であることに気付く。気付いた時にはもう遅い。躊躇なく振りかざされたそいつの刀がを片手で斬った。

















目を開けるといつもの天井があった。心臓がばくばくとうるさく鳴っている。夢か。 俺は大きく息を吐いて額に滲んだ嫌な汗を拭う。 左隣を見るとがすうすうと寝息を立てて寝ていて、俺はほっと胸を撫で下ろした。 なんて夢だ。隣で眠っているはいつものように俺の方を向いて横向きに寝ていて、 両手を重ねて顔の前に無防備に置いている。その手をそっと取って、握る。 するとそれは確かな体温を持っていて、当然だけど確かにこいつが生きていることを教えた。 目を閉じるとさっきまで見ていた不吉な夢がまだ消えてはくれないままで、俺は天井を見つめながら静かに瞬きを繰り返す。 の手を握る手に少し力を込めると、彼女がぴくりと動いた。





「銀時…?」
「悪ィ、起こした」
「んーん……銀時、汗かいてるよ」





暗い空間の中でがふ、と笑って俺の手を握り返した。
気付かないうちに手にまで汗をかいていたらしい。
それでもは俺の手を離さないから、俺も彼女の手を離さない。





「こわい夢見たの?」





今まで寝ていた為に少しかすれた小さな声でが言う。 繋いでいない方の手が俺の頬に触れた。「なんて顔してるの」 あまりにやさしい笑い方をするに、俺は小さく弱い生き物に なってしまったような情けない気分で彼女から目をそらし、天井を向いた。 所詮お前にはだれも護れないのだと、常に自分の中のどこかで囁いてくる声がまた聞こえる。 脳裏ではまだ鮮明すぎる夢に見た映像が蠢いている。 暗い部屋にぼんやりと白く浮かぶ天井が落ちてくるようにも思えて、 やはりどこへ行っても解放はないのではないかと思い知る。生涯離れることはない罪悪感。 呆れるほどに続けても報われることのない謝罪。 それでもまだ、今手の中にあるものだけはどうしたって護り通したいと思うのだ。 夢の中で、彼女を護るために抜こうとした刀が無かった時の絶望感を思い出す。





「丸腰って怖ェのな」





天井を向いてぽつりと呟くと、が「ほとんどの人は丸腰で生きてるよ」と小さく応えた。 わたしも、お登勢さんも、お団子屋さんのみっちゃんも、焼き鳥屋さんのおじちゃんも、みんなだよ、 と今にも眠りそうな速度でゆっくり言った後、はまた寝息を立て始めた。 俺は再び眠りに落ちたの髪をそっと撫でてながら、何があってもこいつだけは必ず護ろうと決めて目を瞑る。 先程までの恐怖感は和らいでいた。











泥濘の幻
(決して死なせはしないから、生涯どうか傍に、)