グラウンドにあいさつする揃った大きな声が野球部が終わったのを知らせてくれる。 携帯をいじりながら下駄箱に座り込んでたあたしは立ち上がって外に出て、ゆっくり歩きながら自転車置き場に向かう。 偶然を装って阿部に会い、一緒に帰ろうよーと誘うと、 阿部はあーと素っ気無い返事をするけどちゃんと一緒に帰ってくれる。 よし。今日も成功。阿部とあたしは歩いて10分の距離に住んでいる(ちょっとだけ遠い)。 阿部はトレーニングとか言って自転車通学を選んでいるけれど、 軟弱なあたしは体力の無さと寒さとに負けて電車通学だ。 だから一緒に登下校は出来なくて、でもどうせ彼女でもないあたしは毎日阿部と登下校する権利は持ってなくて、 こうして時々、ちょっとした待ち伏せをして偶然を作り出す。


校門を出て野球部のみんなと別れたところで、阿部は今まで引いていた自転車に跨り、「ん」と荷台をぽんと叩く。 乗れよの合図。高校生と言うのはなんて面倒くさいものなんでしょう。 付き合ってるとか付き合ってないとかそんな話題が大好きで、勘違いもあちこちで多発。 面倒ごとを避けるためだかなんだか知らないけれど、阿部は昔ほど簡単にあたしを荷台に乗せてはくれなくなって、 乗せてくれるのはみんなが見えなくなってからだ。そんなのはなんだか逆に秘密の関係みたいで、変なの、と思った。 けど言わない。阿部とあたしは付き合ってなんかいないんだ。分かってる。馬鹿。 ぶっきらぼうな合図にうん、と笑って荷台に跨って阿部の肩につかまる。あー、おっきな背中。





「お前毎日自転車にしろよ」
「えー、やだよ、寒いもん」
「じゃあ電車で帰れ」
「いやー。いいじゃん近いんだから送ってくれたって」
「お前を乗せることによって俺の後輪が痛んでんだ」
「…なにそれ」





ぱしっと軽く背中を叩くと阿部は笑った。阿部の後ろにいるおかげで風はあんまり来ないけど、 それでも冷たい空気は頬っぺたを切るように通り過ぎる。 あたしはこうして阿部の肩につかまって二人乗りで帰る時間が何よりも大好きだ。 学校で友達と喋ってるときよりも下駄箱で野球部が終わるのを待ってる時間が好きだし、 どんな他の男の子と喋って褒められるよりも阿部に馬鹿にされる方が好きだ。 けれど阿部との関係を明確に答えられないあたしはそれを阿部に伝えられない。

街灯がたくさんで車も通る大きな道を抜けて、静かな暗い道に入った。 この道は結構長くて、ひとりだと怖いけど阿部と二人乗りで通るのはすごく好き。 静かな道に自転車の進む車輪の音と、なんだかわからない虫が鳴く声が聞こえる。 静かで暗い場所に阿部と二人って、すごくすごくざわざわした気持ちになる。 ふと空を見たら本当に真っ暗だった。藍色ではなく、真っ暗で真っ黒。 そこに点々と浮かぶ星がきらきらきれいで、じいっと目を凝らしていたら思ったより ずっとたくさんの星が浮かんでいることに気付いて、そのきれいさに感動して空から目が離せなくなった。 それを阿部に伝えようと思ったら、あたしより先に阿部が口を開いた。





「なあ
「、うん?」
「俺彼女出来た」





ぴた、っと一瞬時間が凍った気がした。 幸せな気持ちで空を見上げていた顔を下ろして、阿部の大きな背中を映す。 どくんどくんと心臓が忙しく鳴り始める。 阿部の肩につかまった手の指先からすうっと怖いくらいに冷えていく感覚。 今までの嬉しかったりときめいてたり幸せだったりした気分が一気に全てリセットされた。





「……彼女?」
「おー」
「なに、いつ、だれ?」
「昨日」
聞いた名前はあたしのまったく知らない名前。

「彼女……」




ぽつりと呟いたら思った以上にずっしりと重くて後ろにくらりと倒れ落ちそうになった。 だから落ちないようにきゅっと阿部の肩をつかむ力を入れたら、阿部の心配そうな声があたしを呼んだ。 あたしはその声にはっとして、さっきまで阿部に伝えたかったことを思い出す。 「ねえ阿部、星がいっぱい出てるよ!」 そう言ったら阿部は空を見上げて、ほんとだ、と笑った。表情は見えないけど、たぶん笑った。 あたしはその声でさっき阿部から発せられた知らない名前を耳から消そうとしたけどうまくいかなかった。 暗くて静かな道に車輪の音のみが響くようになった。

あたしはまだ状況がわからなくて息苦しくて、喉の奥になにか苦しいものが詰まっている感じにもがきながら、 阿部がこんなにも近くに居て触れているのに、だんだん遠くなっていくのを感じていた。 この背中に抱きつきたい、抱きつこうと思えば今すぐ抱きつけるのに、 あたしは肩につかまっているだけで、それが出来ない。出来ないのはどうして?そんなの簡単だ。 あたしと阿部は、そういう関係の名を持っていないから。 「今」に現実味がなくなってきて、黙ったままぼんやりしていると、 表情のまったく分からない阿部が白い息を吐きながら言った。





「ごめんな」





あたしはその言葉に頬を引っぱたかれたようにはっとして、
よくわからない表情でばしっと強く阿部の背中を叩く。





「なんで謝るの、あたし別に、阿部好きじゃないよ?」
「うん」
「そんな、意味わかんないよ、なに謝ってんの」
「うん。そーだな」
ばし、と大きな背中をもう一回弱く叩く。
「阿部、なんか、好きじゃないよ…」
「うん。わかってる」





ああ駄目だ、ようやく整理出来てきてしまった。
現実なんだ、これ。





「意味、わかんなすぎて、泣ける、」
「おー。泣いとけ泣いとけ」





背中に額を押し付けて声を殺しながら泣いて、どんっと固く握った掌を阿部の背中に叩きつけた。
「痛えよ」と言った阿部の声は、切なくなるくらい優しかった。













つめたい夜
(分け合った感情は、星がきれいって事)