電話の向こうは雑踏がひどかった。忙しく通り過ぎる車の音、バイクの音、風の音、酔っ払いの騒ぎ声。 その中にかき消されてしまいそうな阿部の声を、私は必死に耳を澄ませて拾い集めた。 「どこにいるの?」と尋ねたら、「外。」とだけそっけなく答える。 聞こえないよ、と言ってもその声自体が阿部に聞こえていなくて、私の声を無視して阿部は何かを喋り始めるから、 私はしかたなく雑踏の中から阿部の低い声を選択する。あれ、阿部ってこんなに低い声をしていたっけ。 そういえば電話で声を聞くのは初めてな気がした。私は携帯の着信中のディスプレイに阿部の名前が表示された瞬間から どきどきと高鳴り続けている心臓の音に息苦しくなりながら、阿部の声を追っかける。 『お前はどこにいんだよ。』 「え?家だよ。」 『一人?』 「うん、一人暮らしだからね。」 『ああ そうか。 うん。そーだな。』 あ。踏切の音が聞こえる。 阿部は騒がしい雑踏を抜けたようだったけれど、今度はカンカンと遮断機が下りる合図が高く聞こえる。 『あのさあ、』 「うん。」 冷静な相槌の裏で私は緊張を持て余す。 『この前、言ったじゃん。』 「…なにを?」 『だから、俺のことが好きだって。』 からからの喉で溢れもしてない唾を飲み込んだ。 うん。と向こう側の遮断機の音に負けそうなくらいの声の大きさで相槌を打つ。 『あれさ、 あれ、』 電車が近づいてくる音が聞こえたかと思うと、勢いよく電車が通り過ぎていく音が一気に電話の向こうの全ての音を飲み込んだ。 阿部が何かを言ったのか、言っていないのか、それすらわからなかった。 「なに?、」 私は一人ぼっちの静かな部屋で声を大きくして訊き返す。 通り過ぎてった電車の名残の音が聞こえたあと、少しの沈黙が下りた。遮断機はもう上がっただろうか。 「……阿部?」 沈黙が不安になって呼んでみると、阿部はさっきの言葉の続きを紡いだ。気持ちだけが急ぐ。 『あんとき俺、とは付き合えないって言った。』 「……うん。言われた。」 『でも今は、そうじゃない。 そうじゃないんだ。』 先走る気持ちが心臓を焦らせる、どくどくどくどく、忙しく血がめぐる。 踏切も雑踏も置いてきぼりにして、電話の向こう側は時折通る車の音を連れるだけ。 私はベッドに座っていたはずなのに、いつの間にかフローリングの床にぺたんとお尻をついてぎゅうっと手に汗を握っていた。 「どういうこと?」 声が震えた。 『のこと好きなんだ。』 すうっと通った低い声が言う。 パチンと誰かが鳴らす指の音で魔法が解けたように、私はふわっと力が抜ける。 かたくかたく握っていた手のひらがほどけた。 ええ? なにがどうなっているのか、飲み込めない私はあたまのなかに浮かんでは消える言葉を 捕まえられずに、きゅうっと心臓が疼くのを感じる。 「阿部、」 『ん?』 「それ、 それって 」 わけのわからない笑いがこぼれた。 ふ、ふふ、え? 、 ええ ? 『なあお前が住んでるのってどれ?』 「………え!?」 それを聞いて私はすぐ立ち上がって玄関に向かい、クロックスを引っかけた。 「え、ちょっ、えっ、え、 あべ 、あべいま、どこに、」 鍵も掛けずにとびだして、煩わしい階段を駆け降りる。 マンションを出てすぐにきょろきょろと暗い道路を見回すと、少し遠くに、 いくつか立ち並ぶマンションを見上げて迷っているような人影を見つける。 「あべ 、 あべがいる、」 階段を駆け降りたせいで息を切らしながら少し遠くの阿部を立ちすくんで見ていると、向こうの人影がこっちを向いた。 『あ。 がいる。』 「なんでいるの、阿部、」 もうだいぶはっきり見える距離だけど、繋いだままの電話から阿部の笑い声が聞こえた。 その声は徐々に近づいてくるほんものの阿部の声とダブって聞こえて、私は今近づいてくる阿部が本物なのだと知らされる。 阿部は5メートルほどの距離まで来て、きっと間抜けな顔で立ち尽くしている私をみて笑い、電話を耳に当てたまま言う。 『おいで。』 ダブった声に私はぼろぼろと声もなく泣きながら、阿部に駆け寄って強く抱きついた。 阿部の大きな腕が私を包む。その力強さにようやく現実を感じて、私は阿部の肩に顔を埋めながら泣く。 「もういっかい、言って。」 「なにを?」 「好きって。 もういっかい。」 魔法のような愛を唄う。 ( B G M : 二人のストーリー // YUKI ) |