今日は厄日だ。せっかくやった課題は忘れるし、授業はほとんど当たるし、しかも答えは間違えるし、 お弁当の箸は忘れるし、掃除の時間にゴキブリを見たし。 だからさっさと帰ろうとしていたのだけれど、それすら許されないのか。 わたしは阿部を見てぴたりと固まった。



阿部とわたしは友達だった。だけどわたしはずっとずっと阿部が大好きだった。 それはもう、それはそれは、寝ても覚めても阿部のこと考えてるくらい大好きだった。 だけど2年生になってクラスが離れて、でもわたしはそんなの関係なしにずっと仲良しでいられると思っていたのに、 なんということか、阿部に彼女が出来てもう前のようにはいかなくなった。 これはわたしの勘違いかもしれないけれど、阿部はわたしを避けているように感じるし、 メールだってしなくなった。もう仲が良かったころのことなんかなかったみたいに。 わたしはそれが嫌で、嫌で、納得がいかなくて。 毎日もやもやしていたところに、今の状況だ。

帰ろうと下駄箱から靴を取り出したところで阿部と鉢合わせた。 廊下から歩いてきた阿部は、スリッパを脱いで片手に靴を持って、靴を変えようとしたまま止まったわたしと 3秒ほど目を合わせ、後退を始めた。そして早足で立ち去っていく。わたしは気付いたら阿部、と呼んでいて、 それでも逃げるように行ってしまった阿部を靴を捨てて鞄もスリッパも置き去りにしたまま靴下で追いかけた。 わたしが走って追いかけると阿部も走ったから、わたしはさらに走った。阿部は早い、ずるい、野球部だもん。

「あべ!!」

体力はないし足も遅いわたしはもちろん阿部に追いつかない。 走って走って、家庭科室のある角を曲がった阿部を追いかけてわたしも角を曲ろうとしたところで、 靴下がすべってつるりところんだ。ひゃあっ、と間抜けな声を上げてどたんと転んで、 恥ずかしさと痛さで少しの間倒れこんだままだった。顔を上げて起き上がると、阿部はいない。 ぶつけた膝が痛くて、座り込んだまま手やら制服やらについた埃を払う。なんて間抜け。 わたしが転んだって止まってくれないなんて、ひどすぎる冷たすぎる。 わたしは込み上げる悔しさに泣きそうになった。だけど誰かが来てこんな情けないところ見られたら困るので、 まだしっかりした理性の残るわたしは立ち上がって埃だらけの制服を払った。 ありえない、阿部なんかだいきらいだいきらいだいきらい。そう思っていたら阿部が階段を下りて戻ってきた。 阿部なんか阿部なんかと心の中で呟きながら制服を払っていたわたしに近づいてきて、少し距離をあけたところで止まった。 ポケットに手を突っこんだ阿部は赤くなったわたしの膝を見て、バツが悪そうな顔になって視線をそらす。 わたしは泣きそうになっていたのを忘れて口を開いた。





「なんで逃げるの」
「…なんで追いかけるんだよ」
「阿部が逃げるから」
「おまえが追いかけるからだろ」
「阿部が先に、逃げてったんだよ」





阿部はため息のように大きな息を吐いてあー、とあいまいな声で答えた。
ずっとわたしと目を合わせないで、自分の足元を見ている。
わたしはそんな視線を足元に泳がせた阿部を見つめて、続けて聞いてみる。





「なんでわたしを避けるの」
「避けてねーよ」
「避けてるよ」





避けてる、と念を押すように2回言うと、阿部はますます困ったようだった。
わたしは困った阿部をさらに追い詰めるように問いかける。なんで避けるの。
すると阿部は首ごと横を向いて短く息を吐いた。





「だってお前、俺のこと好きじゃん」





わたしはつい、黙ってしまった。まだ視線を合わせようとしない阿部が気に入らなくて、 すっと手を伸ばして阿部の手首らへんを掴もうとした、ら、阿部はぱっと手をひっこめてよけた。 わたしが触れることを許さなかったのだ。そこでようやく驚いた顔でわたしを見る阿部と視線が合った。 ひっこめられた手は確かにわたしに示された拒絶。 触れようとしたことにわたしは特に大きな意味を考えていなかったのに、 そんなにあからさまによけられてしまっては、なんだか惨めだ。 驚いた阿部の表情はさらに驚いたものに、あわてたものに変わる。わたしがぼろっと涙を流したからだ。





「な、」





いったんぼろぼろと目から流れ落ちてしまった涙は止まらない。 ほっぺたを伝って次々落ちていくのを、わたしは止められないからうつむいて泣いた。 うー、と声を漏らしながら両手で顔を覆って泣く。 阿部が何とも言えない顔でどうしたらいいのかわからない手を泳がせているのが分かる。





「泣くしよぉ〜〜…」
「っ、だって、あべが、」
「はい俺がなに」
「すき…、すき、だもん、」





とうとう言ってしまった言葉に阿部がやっぱりか、と答えたけど、 返事がおかしいでしょう。人の告白を引き出しておいて何がやっぱりなの。 阿部は自意識過剰だよ。たいしたイケメンでもないくせに、 どうしてそんなわたしに対して自信満々でそんなこと言うのよ。 ぐすぐすと泣き続けていると、だんだん阿部に彼女がいるという事実がリアルになってきて、 わたしは悲しく悲しくなった。だから余計に涙は後から後から溢れて嗚咽も止められない。 阿部はいまどんな顔をしているんだろう。涙を止められないから、見ることができない。 けれどきっと困っている。わたしはもう阿部を困らせることしかできないのだ。 わたしの、この恋心はとても重たくて、阿部にとってはただもう困惑のかたまりでしかないのだ。 自分でも重たくて持つのが嫌になってきてしまったくらいの恋心なんだ、阿部にとって重たくないはずがない。 こんな形で伝えていい想いじゃなかったはずなのに。ごめんなとか、そんな小さな声で言わないでよ阿部のばか。 ああもう、やっぱり今日は厄日だ。











階段下で失恋ごっこ
(「ともだちはやめないでよ」って言ったら、不器用に「おー」と頷いた。)