目が覚めたら窓の外はもう真っ暗だった。 いつの間に寝たのか、とりあえず記憶が途切れる前はまだ外は明るかった。 近くにあった携帯を取って開くと、19時だということを教えてくれる。 日々の睡眠不足のせいだな、と心の中で呟き携帯を閉じる。 寝起きで気だるく重い体を起こし、全身に溜まった疲労と憂鬱を含めた重い息を吐き出しながら頭を掻く。 まだ覚めない頭で行動を起こせずに、散らかった床に視点を置いていると意識せずとも鮮明な記憶が脳を占めた。 いつもならこんな日は、知らない間に寝てしまっても目が覚めたら電気が点いていて、 コーヒーを飲みながら本を読んでいるが「よく寝てたね」と笑う。 今この四角い部屋には電気すら点いちゃいなくて、 真っ暗な中にくだらない休日の過ごし方をしてしまった情けない自分が転がるだけ。 ああそうか、彼女はもういない。



ふっと記憶の溝から這い出るように立ち上がり、ぐっと腕を上げて伸びをする。 ポキッと体のどこかの関節が鳴った。脱力してまた長いため息をつくと、 なんだか急に部屋の静けさに気が付いて嫌な寒気が背中を滑る。 今までは一人でいるときの静けさなんて気にもならなかったというのに。 天井にぶら下がる紐を引っ張って電気をつけると突然の光に目がちかちかした。 部屋が明るくなったらなぜだか逆にもの寂しさが引き立って部屋に満ちた。 床の上に散らかる雑誌やら服やらを踏みながら冷蔵庫に到達し、ペットボトルを取り出して水を飲む。 2リットルのペットボトルはちょうど空になって、近くにあったゴミ袋に捨てた。 新しい水はどこにあっただろう。考えてみたけれど頭が働かないからやめた。 それからまた冷蔵庫を開けて今度はビールの缶を一つ取り出した。 プシュッと軽快な音を立てて開け、それに口をつけながらテーブルの上で 生徒のテストに埋もれたリモコンを探ってテレビの電源を入れる。 採点の続きをしなければと思いつつよっこらせと腰を下ろし、ぐいっとビールを飲んだ。 テレビはぱっと明るくなった瞬間楽しそうな笑い声を響かせて、 俺一人の部屋に安心感を引き連れてあっという間に浸透した。 水とビール、水分だけ溜まった胃は空腹感を思い出させ、ぐうと低く鳴る。 腹減ったな。いつもなら、俺がそう呟くとがごはんにしようかと微笑んだっけ。 俺は彼女が夕飯の用意をする音を聞きながら、雑誌を読んだりテレビを見たり、仕事をしたり、 時々彼女に寄っていってじゃれてみたり。自由に過ごして、何もしなくたって美味い飯は出来て、 彼女と笑ってそれを食って、腹いっぱいで、幸せな時間で。ああなにを、彼女は今なにをしているだろう。



あらゆるものが無造作に置かれたテーブルの隅にあった煙草とライターを取って、 少しつぶれた箱から一本取り出して銜える。 そのときたくさんのテストの紙の間から覗くレンタルビデオ店の袋が目に入って、手に取って中身を出した。 と別れてから借りた、泣ける映画のDVD三本。俺はその一本を適当に取り出して、観ることにした。 散らかった床の上をいろんなものを踏みつつ四つん這いでテレビに近づき、DVDをセットする。 それからまた定位置に戻ってようやく銜えていた煙草に火をつけた。 煙を吸い込んで、手元に引き寄せた灰皿に灰を落としながらふーっと吐き出した。なんかいつの間にか大人になったな。 今じゃ素直に泣くこともできやしなくて、泣くためにDVDを借りてきた。本を読んだ。CDも聴いた。 だけどそれのどれも途中で陳腐に見えてきて、半ばで途切れる。俺は今も泣けず、安全な呼吸を毎日繰り返す。 彼女は泣いてはいないだろうか。きっとどんどんいい女になってくのだろう。 そうして俺との日常も過去になり、いつかきっといい思い出になる日が来る。いや、来てしまう。 ああ彼女は今、何を考えているだろう。



DVDの再生ボタンを押して、夕飯の準備でもしようかと煙草を灰皿の上で押しつぶした。 静かで穏やかな映画のBGMが流れ始める。重い腰を上げて、何かないかと冷凍庫を開けてみる。 俺はそこでぴたりと動きを止めた。知らないうちに冷凍庫はいっぱいだったのだ。 弁当に入れる冷凍食品、が作ったカレーやシチュー。 冷凍されたカレーのパックをひとつ取り出すと、の字で「あっためて食べてね」と書かれている。 彼女との記憶が穏やかな映画のように頭の中を流れ、俺はふ、と一人笑みをこぼした。 ああこんなにも、彼女は愛をくれていたのか。


俺はそれを鍋に火をかけて温め、ご飯にかけて、いつもの位置に戻る。 いただきますと手を合わせてもの声は返ってこないけれど、それにも慣れよう。 スプーンを手に取り、カレーを口に運ぶ。 当然だけどの料理の味がして、俺は本当にゆっくりと、 じわりじわりと涙のようなものが心の底に滲み出てくるのを感じていた。 映画はまだまだまったく泣けるシーンなどではなかったけれど、 ごくんと一口目を飲みこんだら自然と泣けそうになった。


一人で泣く自分はあまりにセンチメンタルに思えたので、 押し込めるようにふと深呼吸をしたら彼女の髪の匂いがした。気がした。











君に捧げるダウナー
( 当たり前が当たり前じゃなくなった事に気付いた時に泣くのだろう )